必見!障子堀(しょうじぼり)

山中城

西の丸に向かう途中、おじさんたちが階段を整備していました。
こういう方たちのおかげで、僕らが当時の遺構を安全に探索できるのですね。感謝しましょう。

西の丸

山中城

西の丸に到着。
手前に向かって傾斜になっているのがわかりますか?
写真の右手前には溜池がありまして、この傾斜を流れた雨水を貯蓄できる仕掛けになっています。

西の丸の先端の物見台に立って見ましょう!

山中城

うーん、晴れてはいるが雲多し!
正面の愛鷹山(あしたかやま)はあらわになっていますが、右手の富士山はまだほとんど雲に覆われています。
残念がる息子。

気を取り直して下に目をやると、この西の丸の周囲には、この山中城の代名詞といっても過言ではない、障子堀(しょうじぼり)が広がっています。

障子堀

山中城

丁寧に「撮影スポット」の立て札が立っていました。
オススメどおり、その場所から撮影。
山中城の100名城スタンプも、このアングルのものが採用されていますよね。

障子堀は抜け出すのが困難な上、移動を許さず這い上がる場所も限定されるので、鉄砲や弓を集中させることができ、守る側からはとても効果の高い防御策となります。
多くの山城で採用された堀ではありますが「障子堀といえば山中城」と言われるぐらい、このお城の障子堀は見応えがある状態で復元保存されています。

遺構の風化を避けるために、芝を張って保存されているおかげで、いまなお我々が、戦国時代に思いを馳せることができるのです。息子にも過去の遺産を大事にする気持ちが伝わればいいなあと思い、一通り説明してみましたが、ピンと来てるかどうかはわかりません。

山中城・畝堀

畝堀も見事!

これにて西の丸は一通り見終えたので、まだ行ってない三の丸(宗閑寺)方面に足を伸ばしましょう。

三の丸(宗閑寺)

山中城・宗閑寺

三の丸の跡地には、宗閑寺(そうかんじ)があります。
ここには、城主として戦死した松田康長や副将の間宮康俊などの北条家の武将とともに、豊臣側の一柳直末も一緒に、敵味方へだてなく祀られています。

山中城・宗閑寺

余談ですが、この豊臣側の一柳直末は、秀吉の信任が特に厚かった武将で、彼を失った秀吉は

「関東を得る喜びも失われた」

と、三日も口をきかなかったそうです。

我々としては、一緒に祀られていることを美談と感じるのですが、刃を向け合った当の本人たちはどう思っているんですかね(笑)一柳直末なんて間宮軍にやられているわけですし、半端なく恨んでいるんじゃないでしょうか。。。

これで国道1号の北側の遺構は全て回り終えました。
管理棟でトイレに入ってしばし休憩。そこに備え付けてあった100名城のスタンプを忘れないうちに押しました。

押しましたが、上手く押せずににじんでしまって、テンションが下がり気味。
横すべりしちゃったんだよな〜。

広い敷地を歩いたので、私も息子も少し疲れていたものの、力を振り絞って、国道1号の南側の岱崎出丸に足を進めました!