ヒントその2 :これからの学校のカタチは?

子供がいる限り、学校は必要で、学校がある限り先生が必要である…というのがこれまでの常識でしたが、近年は不登校児童が増え続け、フリースクールのような学校以外の場所も出てきています。

「学校に行きたくなければ行かなくていい。」

自殺やいじめ問題が起こるたびに、そんな言葉もよく耳にするようになりました。

これからの学校はどのような形になっていくのでしょうか。
この映画で描かれる学校の抱える問題の中にその答えに対するヒントが隠されているかも知れません。
主人公を含め登場する教員の多くが、普通の人と同じように何かしらの問題を抱えていて、それを抱えながら学校に行き、反抗する生徒たちに対峙し、生徒の保護者に罵声を浴びせられることもしばしば。
教員間の人間関係に気を使い、夜間の職員会議に召集され、採点の仕事を家に持ち帰り、疲れて帰っても慰めてくれる家族はいない。そしてまた翌日学校に行く。その繰り返し。

主人公はこう表現します。

ブイのない海で自分が救命する立場だと思っていたのに、ある日自分が無力感の中漂流している。
子供たちを何とかして救いたい。
どんな底辺校でも、この先の彼らの人生のために何とかしてやりたいと、皆がギリギリのところに踏み止まっているけれど、何もかも嫌になってうせろと叫びたくなることもある。自分を大切にしようとしない生徒を前にどうしてあげることも出来ない無力感に苛まれる。よくやったと感謝されることもない。
安定剤を飲まないと半数の親を殴り殺し生徒を窓から投げ捨てたくなる。

一方保護者はといえば、
子供に無関心で保護者会に来る者もなく、子供が猫を惨殺してもかける言葉さえなく、子供の興味には見向きもせず、一方的な価値観を押し付ける。
子供が何をしたのかも知らず、考えもせずに教師や学校にクレームを入れる。

もちろんこれは映画の中の話で、あくまでもフィクションです。
多くの教師や保護者がこの通りであると決めてかかるのは安易かもしれません。
心ある多くの教師は子供たちを救うべく教壇に立ち、多くの保護者たちが学校・教師と二人三脚で、家庭での教育を担当していることでしょう。
しかしながら、教師が疲弊し、教育に無関心な保護者が増えつつあるのは、現実の社会を見ても否定できません。

このように書くと、この先の学校には希望がないように思われますが、この映画を見ると

問題解決のために保護者はどうしたらいいのか?

と、想像したくなるから不思議です。
自分の身を守るための想像力を、我が子のために是非フルに活用してみてはいかがでしょうか。
その中から、これからの学校にはこうあって欲しい!というカタチが見えてくるかもしれません。