虐待に関するニュースについて、報道された内容以外のことは知る由もありませんが、知りうる些細な情報を聞いただけでも、もしかするとこういった事件は特別なことではなくて、誰にでも何処にでも起こりうるものなのではないかという印象を持ちました。

今回は、今から10年以上前に公開され、当時も話題となった映画『誰も知らない』を題材に、虐待のひとつであるネグレクト(育児放棄)について改めて考えてみようと思います。
虐待がいけないことであるのは今更語るまでもありませんが、この映画をじっくりと観て「虐待」の奥にある様々な痛みを感じ、想像することは、「子育て」というものについて深く考えるための、ひとつのヒントになるかも知れません。

この映画は実話をベースに、母親に育児放棄された4人兄妹の生活を、ドキュメンタリータッチで描いた作品です。
長男である12歳の少年明(柳楽優弥)を中心に置き、彼をはじめとした子供たちの表情を繊細に淡々と描くことで、逆に喜びや悲しみや寂しさ、絶望、怒りなどなど、彼らの感情がキリキリと深いところまで伝わってきて、その痛みが観る者の心に重く訴えかけてくる秀作となっています。

ひとりで子供を育てるということの難しさ

この映画の中心になる家族は、
シングルマザーと子供4人という設定です。
深夜まで働いて生活費を稼ぐ毎日。
それでも経済的にも厳しく、シングルマザーで子供が多くては賃貸アパートを借りることもままならず、アパートの大家には夫がいる3人家族だと嘘をついて部屋を借りています。
最初の男に逃げられて、それでも女として幸せになりたくて次々と男性と付き合うも、結局は上手くいかず、気づけば4人の子供の父親はどれも違う男性。
そのうえ出生届さえ出していないため、子供を学校に通わせることが出来ない現実を前に、どうしたらいいのかもわからず目を背ける毎日。
ギリギリの生活の中、朝、起きるとその現実の重圧に涙が流れる。
全てを捨てて逃げてしまいたい…。
映画の中の母親は、ある日いくばくかの生活費を置いて家を出てしまいます。

女手ひとつで子供を4人育てるのは並大抵なことではなく、その重圧に逃げたくなることがあっても不思議ではありません。
この映画の母親はひとつのモデルケースに過ぎませんが、両親ふたりで育てても大変な子供を一人親で育てるということの難しさについて、母親はわかっていながらもわかりたくない現実がそこにはあります。
楽しいことだけを探す日々の生活。それでも耐えられず、最後にはすべてからの逃避という誘惑が大きな口を開けて待っているのかもしれません。

しかし、親は逃げられますが、残された子供はどうなるのでしょうか。
この映画では母親が家を出たあと、残された長男は「親」として必死にその務めを果たそうと奮闘します。
残されたお金がなくなれば、母親の昔の男たちを訪ねお金を借り、節約し、コンビニの残飯をもらい、妹や弟を飢えさせまいと必死に頑張るのです。
ある日の朝、母と同じように彼もその重圧にそっと涙を流す姿が痛々しく、胸を打ちます。
担うものが変わっただけで、12歳の少年が「ひとり」で子育てを続ける傷だらけの家族の姿。
目を背けることなく、じっと現実を見つめるような少年の表情が印象的です。
ひとりでどうしても辛くなった時に、誰かに助けを求めることができた…
その少年の判断が、エンディングのささやかな希望に繋がっているように思えます。
逃げ場がない彼が助けを求めたのは、別の意味で逃げ場がなくなっている少女であるところが、この作品が多層的で興味深い部分でもあります。

誰も知らない

誰も知らない